黒田梁洲 – 江戸時代後期の儒者
-# 黒田梁洲の生涯
黒田梁洲は、1763年に肥後国(現・熊本県)に生まれた儒者です。本名は黒田正輔。通称は孟暁。号は梁洲、晩年は逃難居士と号しました。
梁洲は、幼い頃から頭脳明晰で、10歳で漢籍を読み、15歳で経書に通じるようになりました。17歳の時に長崎に遊学し、唐詩選を学びました。また、長崎では、キリスト教宣教師からも西洋の学問を学びました。
19歳の時に京都に遊学し、伊藤仁斎の門下生となりました。伊藤仁斎は、儒教を合理的に解釈し、人倫の道を説いた儒学者です。梁洲は、伊藤仁斎の教えに感銘を受け、儒教を深く学びました。
25歳の時に、肥後国に戻り、儒学の教授を始めました。梁洲の講義は、わかりやすく、ユーモアに富んでおり、多くの人々が集まりました。梁洲は、肥後国における儒学の普及に大きな貢献をしました。
梁洲は、また、多くの著書を著しました。その代表作である「桑琴漫筆」は、儒教の教えをわかりやすく解説した書物であり、多くの人々に読まれました。梁洲の著書は、現在でも儒学を学ぶ人々に広く読まれています。
梁洲は、1839年に77歳で亡くなりました。梁洲の死は、儒学界に大きな損失であり、多くの人々が悲しみました。梁洲の墓は、熊本県熊本市にある梁洲神社に祀られています。