蔦屋重三郎:江戸時代の黄表紙と洒落本の名作を出版した版元
-蔦屋重三郎の生い立ちと江戸新吉原での細見販売-
蔦屋重三郎は、1724(享保9)年、江戸の商人の家に生まれました。幼い頃から読書が大好きで、特に小説や戯曲を好みました。1745(延享2)年、22歳の時に、江戸の出版界で名声を博していた蔦屋五兵衛の養子となり、版元として働き始めました。
蔦屋重三郎は、江戸の新吉原で細見を販売していました。細見とは、遊女屋の案内書のことです。遊女の名前、住所、容姿、性格などが詳しく書かれており、男性たちが遊女屋を選ぶための参考資料として利用されていました。蔦屋重三郎は、新吉原の細見を独占的に販売しており、大きな利益を得ていました。
蔦屋重三郎は、江戸の出版界で成功を収めただけでなく、文化人との交流も盛んでした。彼は、歌舞伎役者や浮世絵師、小説家など、様々な文化人と親交を深めました。そのおかげで、蔦屋重三郎は、江戸の文化の中心人物の一人となり、多くの作品を世に送り出すことができました。