戦国時代の武将 – 吉川元経
- 吉川元経の生涯 -
吉川元経は、戦国時代に活躍した武将です。安芸国国衆・吉川氏の出身で、毛利元就の重臣として活躍しました。
元経は、永正17年(1520年)に吉川興経の次男として誕生しました。幼名は鶴寿丸。15歳で元服し、元経を名乗りました。
元経は、若い頃から武勇に優れていました。天文9年(1540年)、毛利元就が安芸国を統一した際には、元経は先鋒を務めて活躍しました。その後も、毛利氏の中国地方統一に貢献しました。
永禄12年(1569年)、毛利元就が死去すると、元経は毛利輝元の後見役を務めました。天正6年(1578年)には、織田信長の中国攻めに際して、元経は備中高松城の守将を務め、織田軍を撃退しました。
天正10年(1582年)、本能寺の変で信長が死去すると、毛利氏は織田氏と和睦し、中国地方の領有を認められました。元経は、毛利輝元の家老として、毛利氏の勢力拡大に貢献しました。
文禄元年(1592年)、豊臣秀吉の朝鮮出兵に際して、元経は毛利輝元の軍勢を率いて朝鮮に渡りました。元経は、泗川城の戦いで朝鮮軍を撃破するなど、活躍しましたが、文禄2年(1593年)に病死しました。享年74。
元経は、毛利氏の重臣として、中国地方の平定と毛利氏の勢力拡大に貢献した名将でした。