「赤沢鍾美」
- 「赤沢鍾美」
-# 明治-昭和時代前期の教育者
赤沢鍾美(1870~1948)は、明治-昭和時代前期の教育者です。
赤沢鍾美は1870年(明治3年)、広島県に生まれました。1892年(明治25年)に広島高等師範学校を卒業後、東京高等師範学校の教員となりました。1897年(明治30年)には、東京女子高等師範学校の教授に就任しました。
赤沢鍾美は、教育者として、女性教育の振興に尽力しました。1901年(明治34年)には、日本女子大学校の初代校長に就任しました。また、1904年(明治37年)には、女子師範学校教員養成所を設立しました。
赤沢鍾美は、女性教育の振興に尽力しただけでなく、学校教育の改革にも尽力しました。1918年(大正7年)には、文部省の学校制度改正調査委員会の委員に任命されました。また、1920年(大正9年)には、文部省の教育勅語改正調査委員会の委員に任命されました。
赤沢鍾美は、1948年(昭和23年)に78歳で亡くなりました。
赤沢鍾美は、女性教育の振興と学校教育の改革に尽力した、明治-昭和時代前期の教育者です。