狂歌師柳原竹光→
狂歌師柳原竹光
江戸時代中期の狂歌師
柳原竹光(やなぎわら・たけみつ、1707~1784)は、江戸時代中期の狂歌師である。本名は菅沼政長(すがぬま・まさなが)。生家は旗本1,000石の柳原氏である。
竹光は、1707年に江戸に生まれた。幼い頃から歌を好み、10代の頃から狂歌を詠み始めた。20歳の時に、狂歌師の平賀源内に出会い、その才能を認められる。源内の指導を受けて、狂歌の腕を磨いていった。
竹光は、1735年に狂歌師としてデビューした。1741年に、狂歌集『竹光狂歌集』を出版し、一躍有名になった。竹光の狂歌は、ユーモアと風刺に富んでおり、庶民の間で人気を集めた。
竹光は、狂歌以外にも、戯作者や浮世絵師としても活躍した。1750年に、戯作『柳亭種袋』を出版し、1752年には、浮世絵師の鳥居清長と合作して、浮世絵『婦女十二ヶ月』を制作した。
竹光は、1784年に78歳で亡くなった。竹光の死後、狂歌は衰退したが、竹光の功績は高く評価され、現在でも多くの狂歌が伝承されている。
江戸時代中期の狂歌師
江戸時代中期には、竹光以外にも多くの狂歌師が活躍した。主な狂歌師は以下のとおりである。
平賀源内(1728~1780)狂歌師、戯作者、画家、学者。狂歌の第一人者であり、竹光の師匠でもある。
大田南畝(1749~1823)狂歌師、戯作者、浮世絵師。竹光の弟子であり、狂歌の大家として知られる。
恋川春町(1729~1781)狂歌師、戯作者、浮世絵師。竹光の弟子であり、春画の第一人者として知られる。
山東京伝(1761~1816)狂歌師、戯作者、浮世絵師。竹光の弟子であり、滑稽本の大家として知られる。
これらの狂歌師たちは、竹光の後に狂歌の世界を盛り上げ、江戸の庶民文化に大きな影響を与えた。