関本健治-生涯と功績
-失明から鍼灸院開設まで-
関本健治は、1920年(大正9年)1月25日に京都市で生まれた。生後すぐに眼球振盪症と診断され、視力が低下していった。10歳のときに失明し、京都盲学校に入学した。
盲学校卒業後は、マッサージ師として働きながら、鍼灸の勉強を始めた。1945年(昭和20年)、鍼灸師の資格を取得し、京都市内に鍼灸院を開業した。
鍼灸院は順調に経営され、関本は鍼灸師として活躍した。しかし、1950年(昭和25年)、交通事故に遭い、重傷を負った。この事故で、関本は半身不随となり、鍼灸師としての活動を断念せざるを得なくなった。
半身不随となった関本は、リハビリテーションに取り組み、徐々に身体機能を回復していった。そして、1955年(昭和30年)、京都市内で鍼灸院を再開した。
再開した鍼灸院は、再び順調に経営され、関本は鍼灸師として活躍した。そして、1970年(昭和45年)には、京都府鍼灸師会の会長に就任した。
関本は、鍼灸師として活躍する傍ら、鍼灸の普及にも努めた。1960年(昭和35年)には、京都市内で鍼灸学校を開校し、鍼灸師の養成に力を注いだ。
関本は、1990年(平成2年)に70歳で死去するまで、鍼灸師として活躍した。関本は、失明というハンディキャップを乗り越え、鍼灸師として成功を収めた。その功績は、鍼灸界に大きな影響を与えている。