梶本隆夫→ 阪急ブレーブスを支えた左腕のエース
梶本隆夫の野球人生
梶本隆夫は、1936年3月24日に兵庫県姫路市で生まれた。姫路市立姫路商業高等学校に進学し、1953年の夏の甲子園大会に4番打者として出場。準決勝で敗れたものの、その大会で一躍注目を集める存在となった。
1954年に阪急ブレーブスに入団。1年目から先発ローテーションの一角に定着し、新人ながら14勝6敗、防御率2.06の好成績を収めて新人王を獲得した。2年目以降もチームの主戦投手として活躍を続け、1957年には26勝を挙げて最多勝利のタイトルを獲得した。
梶本は、スライダーとチェンジアップを武器とした技巧派の左腕投手だった。球威はそれほどなかったが、制球力とフィールディングが良く、打たせて取る投球スタイルで相手打線を翻弄した。また、打撃にも優れており、通算15本塁打を記録している。
梶本は、阪急ブレーブス一筋12年間で通算112勝74敗、防御率2.70の成績を残した。1965年に引退後は、阪急ブレーブスのスカウトやコーチを歴任し、1990年には阪急ブレーブスの監督に就任した。監督としては、1991年にチームをリーグ優勝に導いたが、日本シリーズでは西武ライオンズに敗れた。
梶本は、2004年に野球殿堂入りを果たした。